「新阪堺」と呼ばれる理由

どうして「新阪堺」と呼ばれるの?

 1927年(昭和2年)に阪堺電鉄株式会社による阪堺電鉄線(芦原橋~三宝車庫前)が開業したときには、既に並行する軌道線の阪堺線(恵美須町~浜寺駅前)が開業していました【1911年(明治44年)開業】。新阪堺線が開業したときに存在していた南海阪堺線と区別するため、阪堺電鉄株式会社を「新阪堺」もしくは「新阪堺電車」、同社の阪堺電鉄線を「新阪堺線」と呼ぶようになりました。

 なお、南海本線となった「阪堺鉄道」、阪堺線となった「阪堺電気軌道」の次に設立された「阪堺電鉄」は第三の阪堺というべき存在でした。

阪堺電鉄株式会社について

阪堺電鉄株式会社はどういう会社なの?

 阪堺電鉄株式会社は1923年(大正12年)6月2日に設立された、路面電車(電気軌道)による一般運輸業を経営する会社です。
 また、この一般運輸業に附帯する下記の事業を経営することが定款1に記載されています。

  • 土地家屋の経営、売買、賃貸、並びに土地家屋を抵当とする金銭の貸付
  • 娯楽機関の経営
  • 食堂の経営及び日用品の販売
  • 自動車による一般運輸業
  • 営業に関係する他会社の事業への投資

 阪堺電鉄株式会社は並行する南海鉄道とは資本は関係なく、阪堺電鉄線の特許は木津川土地運河株式会社株主、沿線土地会社ならびに大地主らとはかり、大都市計画完成後の地価高騰を目的として2出されたものでした。

 なお、阪堺電鉄株式会社は1927年(昭和2年)10月1日に芦原橋~三宝車庫前を開通させ、1935年(昭和10年)6月1日に芦原橋~浜寺まで最終的に開通しました。しかし、戦局の悪化とともに沿線の工場が活況を呈し、それによる輸送力不足が生じ、1944年(昭和19年)3月27日に全事業を大阪市に譲渡し、同年7月20日の臨時株主総会において解散の決議を行い3、解散しました。

大阪市買収後の新阪堺線(大阪市電阪堺線)について

大阪市買収後の新阪堺線はどうなったの?

 大阪市に買収された後、新阪堺線は大阪市電阪堺線として1968年(昭和43年)9月30日まで営業していました。なお、南海阪堺線と区別するため、「三宝線」と一般的には呼ばれていました。
 同年10月1日をもって、廃止された大阪市電阪堺線(三宝線)のルートは大阪市営バスに引き継がれ、2024年現在、大阪シティバスのなんば~地下鉄住之江公園の29号系統、地下鉄住之江公園~堺駅西口の89号系統のバス路線として残っています。

参考資料

  1. 『阪堺電鉄株式会社定款』1940年1月1日施行版,阪堺電鉄株式会社,1939 ↩︎
  2. 武知京三[著],『戦時交通統制と大阪市営交通事業~阪堺電鉄の買収をめぐって~』,近畿大学『商経学叢』38(1),1991.7 ↩︎
  3. 大蔵省印刷局 [編]『官報』1944年07月27日,日本マイクロ写真 ,昭和19年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2961762 (参照 2024-06-13)
    「當會社ハ昭和十九年七月二十日ノ臨時株主總會ニ於テ解散ノ決議致候」 ↩︎